MODENA SINCE1990
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クレイドゥ

母が煎れてくれた珈琲はいつの間にか温くなっていた。

私はそれに氷を入れることで、冷たくなるということを知っている。

それは何度目かの夏で覚えた。

御立派な人間の知識である。

知らない方が楽しそうに見える。

それがとても愛らしい。

未だに沢山の夏が迫る、滔々と。

では、また。

 

誰にでも、ある程度の人にも、自分だけにも。

バーナム効果について調べものをしていた、そして考えを巡らせた枝先のひとつに

千年女優のラストシーンのセリフが出てきた。

そうこうしていたら、いつの間にか映画について考えを巡らせていた。

何といっても雪道を走って曲がり角で転び、立ち上がりながら走り出す場面が何とも言えない。

考えていると、「自分は何をしている時が一番好きなのか」について考えた。

好きなものは食事かゲーム。でも、これは好きなのが対象であって自分じゃない気がする。

私は自分が好きだと思う、自分の悪いところもあれば、嫌なところも知っているつもりだけれど

総じて自分が嫌いだと思っていない。

でも、特にどんな自分が好きなのかはよくわからない。

それがハッキリしている彼女は幸せなのかもしれない。

そして、私はそんな事を考えている自分が好きなのだろう。

では、また。

めっちゃ得意なやつ

不要不急の外出を控え、仕事が終われば速やかに自宅に戻り、

休日は自宅で過ごす。

 

では、また。

あけましておめでとうございます。

2020年です。

新年早々世界情勢は冷や汗ものですが、和歌山は相変わらずの暖かい気候で、この上なく平和な日々です。

お正月の最も印象に残る記憶と言えば、年始恒例の麻雀大会で、捨て牌の読みが冴えわたり、一度も振り込みをしなかった事ですかね、当然大勝利、天下無双、無敵の龍で最強の虎、天下一品こってりラーメンライス付、まさにそなたこそ真の三國無双よ。

この調子で万事よろしく回ってくれたらありがたい。

皆さま、本年もよろしくお願いします。

では、また。

野生の息吹

人の姿というものは固定的な性質でありながら、千差万別である。

また、人の質というものは形の無いように見えて、案外固定的だと思う。

知る限り、愛される人というのは、美しい装いで、刺や毒を以て人に相対せず、

その色は決して派手さを誇らず、その振る舞いは桜花のような芳香すら残す。

それら愛される因子には揮発性があり、生命のように儚く天に昇っては、消し飛ぶ。

 

吹き荒んでいった人生を顧みる時、それらを嘆く自己愛が鬱陶しい。

年老いた私は帰って、ゼルダでもやろう。

では、また。